2012年2月29日水曜日

2012年1月

酸素ボンベを持って、実家へ遊びに行きました。

先生から、(* ずっと)酸素を外していてよい、との許可は頂いていませんでしたが、
顔色が良いし、ほとんど酸素は外していました。

ときどきモニターをつけて確かめてみても、
深く寝ても、96以下にはなりませんでした。

数値でも、レントゲンでも、肺は良くなってきていました。



体重が止まっていた1月以上の時間のせいか、筋力の成長などは
とてもゆっくりで、まだ、寝返りも出来ずにいました。

七海ちゃんのお母さんに、メールしました。
いろんなことを教えていただきました。

やはり、治療法はありました。

まだ、アメリカやブラジルなどで始まったばかり、
予期せぬ副作用の可能性もありますが、
チャレンジする価値は、十分にあります。
旬がこれから生きていくために、
そして、これからのNPCの子のために、
なんとしても、その治療法を実践して頂けるよう、先生にお願いしなくては!と思いました。


ある日、お風呂上がり、薄いの1枚で転がっていたら、寝返りができました。
あっけなく。
どうも、筋力が弱いことに手伝って、着せ過ぎ、被せ過ぎで、転がる気分にならなかったようです。

15日の外来通院では、飲み薬が一切無くなりました。
神経の先生の診察では、
やはり、筋力が弱く、発達は、健康な子の1~2ヶ月遅れ、だと言われました。

酸素は、まだ、無しで良いとは言われませんでした。








2011年12月

鳥取医大から返事がきました。

 

お願いしていた旬の遺伝子検査の結果です。

ニーマン・ピック病C型、確定診断でした。 


 NPC1に変異体がありました。

日本人のニーマン・ピック病C型は、ほとんどがNPC1に変異があり、
その場合、症状が進んで誤嚥性肺炎などから肺に症状が出ることはあっても、
旬のような、はじめに肺に病変があるケースは他にないそうです。
初期から肺に病変があるのは、NPC2の異常の方、とのことで、両方調べていただいていました。




まだまだお腹がぽっこり。
でも体はふっくらしてきました。
遺伝子カウンセリングの先生からのお話の時に、
他の代謝性疾患のいくつかの病気の、
酵素補充療法が頭に浮かび、

だましだましでも、生きていく方法はありませんか?
と訊ねました。

今のところ ありません。
即答でした。


ショックはありませんでした。
この先生が、知らないだけだ、と思ったからです。

七海ちゃんのお母さんのHPでアメリカで始まった新しい治療法のことを知っていたからです。

この時から、自分で調べようとしました。
でも、アメリカのクリスさんのHPを見ても、日本語しか話せない私には、難しすぎました。
日本で出版されているライソゾーム病の本は情報が古すぎました。

誰もが忙しい師走はがまんして、
年が明けたら、一度、七海ちゃんのお母さんにメールしてみよう、と決めました。


2011年11月

 どんどん肌色はきれいになり、
白眼も赤ちゃんらしい青白さが戻ってきました。

NPCだと、
胆道閉鎖症を起こす場合もあるようですし、
遷延性の胆汁うっ滞型の黄疸と、
肝脾腫を示す例も、
かなり多いようです。

病歴上、新生児肝炎、遷延性黄疸がある例が半数近い、と書かれているものもありました。


いろんな病名が通り過ぎて行きました。

これを否定するために、こういう検査をしたい、というお話だけでも、いくつかあったので、
先生方の間では、たくさんの病気の可能性が浮かんでいたのだろうと、想像しました。


ここまで検査をしていただいても、
なかなか確定診断とならなかったことで、
逆に、
その時間の積み重ねによって、
少しずつ、この子には難しい病気があるんだ、
と、覚悟が決まっていきました。


飲み薬は、更に種類が減らされていきました。

肺の間質の病変を表す数値、KL-6は、
最悪時4700を超えていました。(正常値500以下です)
が、それも下がり始めました。



 ここ、 奈良医大病院の小児センターの看護師さんは、
皆、明るく、優しく、テキパキしていて、とても、心地よく過ごすことができました。

カニューラを留めているテープのドラえもんや、アンパンマンなどは、いつも手描きで作ってくださっていました。

NPCには確立された治療法が無いこと、
体重の増加が安定してきたこと、
から、自宅で過ごすなら、このタイミング、とのことで、
11月19日 退院しました。

11月9日にも脱腸で押し込んでもらった、ということがあったので、
その不安を抱えながら、
また、在宅酸素で、酸素吸入しながらの生活が始まりました。


 
 お風呂上がりです。お風呂の間は酸素を外していました。

2012年2月27日月曜日

2011年10月

8月15日から、なぜか黄疸は数値が下がり続けていました。

お腹の腫れは大きく、おへそはとびだし、血管も浮いていました。
10月2日、夜中、鼠径ヘルニアがかん屯し、相当な痛さだったようで、
大声で泣き続けました。
朝になって、主治医の先生が来てくれて、押し込んでくれました。
ここまで痛がる旬に、脱腸の手術をしてほしい、とお願いしましたが、
肺がかなり悪かったので、手術そのものより、
全身麻酔がリスクが高い、と言われました。

お腹の手術痕はとてもきれいになっています。

ほぼ、ニーマン・ピック病だろう、ということで、
奈良医大では、ニーマン・ピック病患児をみたことが無いため、
代謝疾患を専門にしている、
大阪の病院の先生を訊ねに行くようにすすめられ、行ってみたりしましたが、
何もすすみませんでした。

そして、少し前のブログに書いた、大坪七海ちゃんのHPで知った、
鳥取大の先生に、旬を助けて下さい、と私、メールをしました。

即、お返事をくださり、
まずは、確定診断をつけることからだ、ということで、
10月12日、皮膚生検され、
その後、皮膚の線維芽細胞の培養でフィリピン染色で陽性が出て、
ニーマン・ピック病C型に限りなく近づきました。









10月13日 頭部MRIではまだ異常は無く、そのあたりから、お腹の腫れが少しずつましになってきました。
黄疸も正常値に入り、10月20日には、酸素を1Lから0.5Lへと減らすこともできました。
10月25日からは、飲み薬の種類も減らされて行きました。

2011年9月

外泊中、じんましんが出て、夜中、病院へ戻りました。
数日の点滴と飲み薬、塗り薬で、おさまりました。
アレルギーなど、調べていただきましたが、
原因は分りませんでした。

初めて、機嫌の悪い旬を目の当たりにしました。
アレルギー体質の私には、かゆいことの辛さがよく分りました。 

利胆作用のある、てんかんの薬も飲み始めました。
しかし、逆に肝臓の数値が悪くなったので、中止になりました。

このころ、最高9種類ほどの薬を飲んでいて、
溶かして飲ませるのも、ものすごく大変になって来ていました。
上手に舌で押し出すし、
本人にとっては、飲みこみたくないものだから変な空気の吸い込み方になって、
やっと全部飲めた!っと思ったら、全部吐く、時間をかけて、また一から。
旬にとっても、私にとっても、ストレスになっていました。

私は、大量の薬のせいで満腹になって、
ミルクや母乳が飲めないんじゃないか、と思っていました。

体重が止まってから、どんどん成長曲線から下回ってきたので、
脂肪の点滴なども数回受けました。


そのうち、ほんとに、飲まないようになってきて、
鼻からチューブを入れてもらえるように、お願いしました。

そのチューブがちゃんと胃に届いているか、のレントゲンで、
偶然、肺が悪いことがわかりました。
9月21日のことです。

CTも受けました。

肺の間質に病変があることがわかりました。
でも、通常の間質性肺炎の画像とも違っていました。

まったく旬が苦しがっていないことに比べて画像の派手に悪いこと、
振り返って、
過去の検査(腹部でしたが赤ちゃんなので、胸の方まで一緒に入っていた)の画像を、
肺野まで広げてみていただくと、
すでに入院当初から影があったこと、がわかり、
きっと、この肺の病変は生まれつきのものだ、と分りました。

ここで、
肝脾腫に加え、肺の病変がある病気として、
ゴーシェ病、ニーマンピック病など、
いくつかの病気に絞られました。


旬が苦しがっていない、というのは正確では無く、
酸素飽和度は、80代前半で、酸欠状態になっていました。
旬が、生まれつき、徐々に悪くなっていったため、
自分で苦しいことに気づいていない、だけでした。
1Lで酸素を吸い始めたら、
とたんに、しっかりと飲めるようになりました。
(ひとり高地トレーニング状態で、ミルクを飲むことで息切れしていたのでした)

27日、骨髄の検査があり、泡沫細胞が確認されました。

まだ検査は続きました。

そのほかの感染症やHIV、タンデムマス検査、もういちどサイトメガロウイルス、
など調べていただき、結果、サイトメガロウイルスのみ感染が確認され、
その点滴治療を約2週間受けました。
サイトメガロは大人の多くは持っているようで、珍しいものでは無いようです。

その後、ゴーシェ病で低下する、グルコセレブロシダーゼの活性が正常で、
ゴーシェ病を否定されました。




2011年8月





黄疸はかなりきつく、
黄色というか、黒っぽさもある肌色でした。
 
 






もともと、手術して、違った場合、
いろいろ調べても原因がわからなかったときは、
新生児肝炎症候群
という病名になる、と言われていました。

肝生検の結果、巨細胞性の新生児肝炎と言われました。
他の病院でも、皆、同じ診断でした。

 
       

採血で、あいかわらず、どこかしらに青いあざができていました。

旬は、表情も豊かで、黄色い以外、
見た目は元気そのものでした。

新生児肝炎は、かってに軽快していくことも多い病気のようで、
私達家族は、少し時間の余裕をもらったような、
しかし、原因がわらないままで、もやもや漠然とした不安感が消えない、
時間を過ごしていました。


次々と、
胆汁うっ滞に対しての飲み薬が増え、
採血の結果、貧血などもありそれらの飲み薬も増え、
漢方薬も飲むようになりました。
時々は外泊もして、家に帰ったりもしていました。
そのうち、入院後、増えてきていた体重が、止まりました。

それまで完全母乳できていましたが、
8月半ばからMCTミルクという、吸収の良い特殊ミルクをメインで飲ませるようになりました。
でも、独特の匂いがあり、たった50ml飲ませるのも大変でした。

※お腹のぽっこり(肝臓・脾臓の腫れ)は憎悪の一途をたどり、
ミルクが口に合わないのと、肝脾腫によって、一度の哺乳量が低下していました。
(※と、思っていました。)

ひとつ良いこともありました。
それまでずっと上がり続けていたビリルビン値が、8月15日の採血で初めて下がりました。

このころ、
白黒のコントラストが顔って分りやすいのか、このパンダのぬいぐるみに良く笑いかけていました。